ぐるぐるのある世界ない世界

今朝目を覚ますと、まだ開ききらないまぶた越しに雨の気配を感じた。風もびゅうびゅうと強く吹き荒れている。宮古島ではここしばらく暖かい日が続いていたので今日は久々に寒い一日になった。たまにこうして揺り戻しもありながら、春はゆっくりやってくる。

 

さて、そんなわけでしばらく日記を書くのをサボってしまっていたわけだけれど、実は2月頭から島でよくお世話になっているU.F.O.TACOSさんでnomeanvisualsの個展をやらせてもらっている。これまでに書き溜めたぐるぐるのシリーズはもちろん、色んな技法、モチーフに挑戦した最近の作品も多数見れるようになっているので、良かったら遊びに行ってみて貰えたらと思う。何か感じて貰えたら作者としてはコレ幸いといったところだ。

 

今回は店主のヒロ君ユウちゃんのご厚意で展示をやらせてもらっているのだけれど、昨年4月に東京の亀戸でやらせてもらった時の経験が、空間の演出/見せ方を意識するという点で生きてきたかなと思う。加えて今回はギャラリーではなくカフェなので、"攻める"部分と、お客さんが心地よく滞在出来るための"抜く"部分のバランス。その点で店主ヒロ君のアイデアや意見を参考に出来たのは大変有難かったし勉強になった。事あるごとに店に顔を出して、少しずつ変更や修正を加えて展示を変化させていった。彼自身もジャンクアートをやる人物なので、お互いのアート感の相通づる部分や相違点を話し合えたのも個人的に大きな収穫だった。

展示自体は3/8までの予定だ。最終日には店主のDJに合わせてライブペインティングもやらせてもらう。それをカメラで撮りながら同時に網を重ねて作ったスクリーンに投影してお客さんたちに飲みながら楽しんでもらうという趣向を考えている。加えて僕の絵のデザインのシルクスクリーンプリントを¥1000で持参したTシャツやバッグに刷る体験も出来るので、是非トライして手作りの楽しさを皆でシェアできたら嬉しく思う。遊びに来てね。

 

さて、展示が終わったらまた撤収だ。一ヶ月に渡って鎮座していたぐるぐる達が無くなった時に店内がどう見えるのか。何を感じるのか。個人的にはそれも楽しみだったりしている。

 

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いい湯だな、あははん

意外なことに宮古島には宮古温泉とシギラ黄金温泉という二つの温泉が存在する。どちらも泉質は良く、ポカポカと身体はしばらく温かい。

今日は友達に誘われて仕事終わりにシギラのほうへ行ってきた。どのへんが黄金なのかは未だに分からんが、案外気に入ってしまっていて冬場のシーズンは通っている。しかし風呂はいいよね。あらゆる快楽の中で一番といっても過言ではないかもしれない。これは日本人の長寿の秘訣の一つなんではないかといつもの想像力を巡らせてみたりする。

 

露天の湯に浸かりながらしょーもない会話をする。看板屋でアートやってる友達とキャンドルアーティストの友達。彼らの存在が個人的にはとてもいい刺激になっている。彼らには負けたくないというか、バカにされたくないと思う。こういう友でありライバルでもある存在はありがたい。

11月も終わろうとしているだけあって、湯の外に出ている部分は多少冷え冷えとする。風呂にはこれからが良い季節だ。おそらく蒸気で鼻腔も洗われるんだろう。風呂を出ると、大気中に漂う香りに敏感になる気がする。季節の匂いと言っても良いかもしれない。

 

今日は少しジメッとした、土と海の塩とが混ざり合ったような匂い。有機的で穏やかな匂い。ここ宮古でも冬が始まろうとしている。

 

そんないい風呂の日だった。

we love dancing music lover

2019/11/11宮古島といえば暖かいイメージがあると思う。ともすればちょっとした常夏の国を思い浮かべる人もいるかもしれない。だが実は冬の宮古は意外と寒い。気温はそこそこあるのだけれど、海から吹いてくる風は冷たくて強い。自分くらい体脂肪率が低い場合、夜薄着で出てしまうとガンガンに体温を奪われてガタガタ凍えてしまう事になるくらいだ。今年も11月に入って朝晩の気温がだいぶ下がってきた。夕焼けの色も良質な毛布のように深く柔かくなって、こちらでも季節の移ろいを五感で感じている。

 

一昨日の日曜日、JTAドームでクイチャーフェスティバルというものがあった。

(クイチャーフェスティバル)

http://kuifes.com

ようは雨乞いの踊りなんだけれど、宮古の中でも地域によって踊りもリズムも違うらしい。仕事終わりに遅れて行ったので、メインのクイチャーは見れなかったが、下地さんのライブと、生歌に乗せた子供たちの踊りを見れた。とにかく勇ましい振りと、子供達のキレキレの動きに気持ちが高まる。メチャメチャにカッコ良かった。

クイチャーの振りは南方系の踊りと和の要素が混ざり合ったような感じ。流れるような動きと、キメる箇所もあり、メリハリがあってとても見栄えがする。

世界中で踊りは祭りには付き物だ。神様に踊りを奉納する。個人的に大昔から伝えられてきた踊りにはその土地の魂が込められている気がする。その土地の歴史、人々の生活の全てがそこに詰まっていると思う。踊っている間、僕らは時空を超えて歴史の一部になる。

リスペクトしてやまない。

 

 

what a wonderful world

2019/11/09早朝3時。いい加減寝ないと明日の仕事がしんどいのはわかり切っているんだが、興奮してしまって目が冴えて眠れない。いい作品が出来た日はいつもこんな感じだ。自分が作ったもので感動できるなんてえらく安上がりだと我ながら思うけれど、まぁこれはこれで幸せなことなのかもしれない。

 

そういえば今日はこんなことがあった。

伊良部出身の同僚のおっさんが、割とボーとしてる下っ端のミスに事あるごとにボロカスに言っている。現場の雰囲気が悪くなるのが嫌だったので、なんでそんな言い方しか出来ないのか?と尋ねると、奴がバカだからという返答。そんなんしょうがないでしょ。イラつくのは自分自身の問題。と話したら黙り込んだ。分かってくれるかなぁと思い見ていると、なんとか優しく話そうとぎこちなくしていて、あら、意外と素直やん。と、ちょっとだけ可愛かった。基本的にはいい人だし、バカではないと思っているのでこの機会に話をしようと思ったし、話をして良かった。

 

世の中にはいろんな人がいて、多くの場合本人も好きでそうなったわけではない。だからお互いに楽しく賢くリスペクトし合えるように考え方に工夫をしていけばいいのではないか。

人の事は変えられないから、

自分が変わるしかない。

 

さて。そろそろ寝る。寝ろ。

おやすみなさい。

 

 

so come on let's work.

作り続ける事を自我に邪魔されない

人のこだわりなんて死んだら消える

作品だけが残る

 

NY市では、プロのアーティストの定義が決まっているというお話。

https://k-daikoku.net/newyork-artist/

 

アートを売って生活している人だけがプロアーティストなのではないというのは作家の一人としてとても心強い。

 

あいちトリエンナーレの件もこれがあれば解決するような気がするのだ。アーティストというものをプロ化する事で、その人の作品を鑑賞する際にはアート的な、視野を広く俯瞰した仕方でとる事が求められます。ということを徹底すれば良い。アーティストの作品の中にはそのイメージに感情的、反射的に反応するべきではないものがある。特に現代アートはテーマが哲学的だ。ロジックが大切になる。そこを踏まえてアーティストの作品がギャラリーかそれに準ずる場所で展示される場合には、時にはメイプルソープの作品のように法の縛りも届かないところにその表現の可能性はおくべきであると思うのだ。その価値はある。

 

力尽きた。寝る。

 

 

 

リンダリンダ

2019/11/5ここ最近は毎年思っていることなのだが、今年は時間の経つのが特に早く感じられる。歳をとるにつれ新しい経験をする事が減るのが理由とも、人生における過ごした時間の割合が小さくなるからとも言われているようだが、自分は何かに夢中になっている時は嘘みたいに時間が早く流れているように感じる。

 

2年半ほど前にアートをやり始めて、ほとんどすべての時間そのことについて考えているし、可能な限り毎日アイデアを形にするようにもしている。もはや日課なので、手をつけられない日は逆にどうにももどかしい気持ちになる。継続することで何か面白いものが見えてくるかもしれない。半分願望を込めて考えてみたりもする。

 

筆先に全神経を集中している時はとても気持ちがいいものだ。毛先の一本一本にまで神経が通って、自分の体のようにコントロールが効くようになってくる。雑音が消えて視界は自在にズームしだす。鉛筆を走らせる。コンパスを回転させて線と線の間をインクで埋めていく。そしてフト気がつくと軽く3、4時間が過ぎている。

 

キッチンに降りてお茶をがぶ飲みして、固まった腰の筋をストレッチで伸ばしてから寝床に着く。今日もお疲れ様。

U.F.O. の軌道に乗って

2020/11/5深夜。今、宮古島で大工の仕事をしながら生活をしている。今度友達のやっているBAR U.F.O tacosの改装の手伝いを頼まれていて、テーブルをいくつか、スピーカー台などをデザインさせてもらう。今日はその打ち合わせをしてきた。店主も気の良い人物なので有難い。彼はアーティストでもあるので仕事の進め方など目の前で見せてもらえて、とても参考になっている。

 

話は変わるが、SNSや現実世界で色々な人を見ていて、ここしばらく考えていた事が一つある。「皆は世の中がどうなってて欲しいと思っているんだろう?」ということだ。

自分の頭の中で理想的な世界の容がイメージできているんだろうか?少し気になった。

 

自分のことに置き換えてどんな世界がいいかなぁ。と頭を捻って考えていたのだが、フト浮かんだのが、「誰でも間違うことはある。そんな当たり前の事を当たり前に皆が認識している世界」というものだ。

 

そんな優しい世界になればいいと思う。